スイスのルツェルンは古くから商業都市として栄え、ウイリアム・テルの伝説でも知られる美しい町です。あまりにも美しくてラフマニノフも湖畔に別荘を建て住んでいた時期があるようです。今回は2017年夏に訪れた記憶を基に振り返ってみます。
1.ルツェルンはどこにあるか
スイスの中央に位置しています。日本から直行はなくミュンヘン✈乗り継ぎチューリッヒから電車で1時間ほどです。スイスの首都ベルンもお隣に位置しています。
参考データ>羽根田⇒ミュンヘン:約12時間5分 ミュンヘン⇒チューリッヒ:55分
ルツェルンの言語はドイツ語など4ケ国語、通貨はスイスフランを使用
2.ルツェルンの歴史
ルツェルンの創建については公式の記録はないが、ローマ時代、またはそれ以前には小さな集落があったと考えられている。8世紀にサン・レオデガー修道院が創建され、840年に"Luciaria" という名前が記録されている。その後、ロイス橋周辺で市(いち)がたつようになったが、現在の歴史家は行政権が修道院から市民の手に渡った1178年がルツェルンの誕生した年と見ている。
13世紀にゴッタルド峠を越える道が開通したことにより、ルツェルンは重要な交易地となった。当時アルザスのムルバッハ修道院がサン・レオデガー修道院を所有していたが、1291年にハプスブルク家のルドルフが諸権利を買い取ったため、ルツェルンの自治が圧迫されてきた。
そのため、ルツェルンは近接するウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原初三邦に接近し、1332年に同盟を成立させた。この1332年という年は、都市の住民と農村の住民が手を携えたという点で、スイスの歴史においても大きな意味を持つ。
ルツェルン周辺地域の支配強化を試みたハプスブルク家に対し、ルツェルンと原初三邦は1386年のゼンパッハの戦いでハプスブルク家の軍隊を打ち破った。以後ハプスブルク家はスイス内の領地を次々に失い、ルツェルンはスイス建国の歴史に大きな役割を果たした町としてその名を刻むことになる。1408年に完成したムゼック市壁は、スイスで最も大きく、保存状態の良い市壁である。
2007年6月17日、隣接自治体のリタウで住民投票が行われ、2010年1月1日にルツェルンへ吸収合併することが合意された。吸収合併によりルツェルンは人口約79,000人(当時)となり、スイスで7番目の都市となった。(ウィキペディアより)
3. おすすめホテル
おすすめのホテルはアールデコホテルモンタナです。他にも多くのホテルがありますがたまたま3泊し、とても良かったのでご紹介します。
アールデコ ホテル モンタナ|口コミ、部屋写真&料金、お得情報|エクスペディア
ルイス・バー(LOUIS BAR)
モンタナホテル内にあるジャズバー。
4. 観光スポット
街自体がこじんまりして治安もよくお散歩しているだけもウキウキしてきます。
その中で印象的だった場所をピックアップしてご案内します。
4-1. ホーフ教会
4-2. イエズス教会
4-3. カペル橋
4-4. 朝市
4-5. ルツェルン湖
4-6. ロイス川
4-7. 旧市街地
4-8. 瀕死のライオン像
4-9. ムーゼック城壁
4-10. ピラトゥス山
4-1. ホーフ教会
なんといってもこのホーフ教会は印象的でした。二つの尖塔が特徴。白い風船がきれいですがこの風船、何を意味するか分かる方がいらっしゃいましたら教えてください。
もらったハガキを訳してみましたがこんな感じでした。
KUNST ZUM REFORMATIONSJUBILÄUM
HAUCH,LUFT,ESPRIT,ATEM,RUACH,GEIST,ODEM
Tausend leichit durchsichtig schimmernde balle machen von Pfingsten bis zum Reformationssonntag 2017als<Atemluftinstallation>an und in Luzerner Kirchen halt....
改革記念日への芸術
ブレス、エア、ウィットネス、ブレス、ルーチ、スピリット、オデム
ペンテコステから2017年の宗教改革記念日まで、ルツェルンの教会とその中で、わずかに透明な千個のきらめくボールが<呼吸する空気のインスタレーション>として止まります...google先生翻訳
ホーフ教会入口の人感センサー付き扉。レリーフがすばらしい。
4-2.イエズス教会
4-3. カペル橋
カペル橋(ルツェルンのロイス川にかかるヨーロッパ最古の木造橋)まちのシンボル。長さ200m。
4-4. 朝市
4-5. ルツェルン湖
湖沿いはとても良いお散歩コースです。カモもいました。
クルーズ船もあり、毎日多くのクルーズコースがあるようです。
船着き場はカルチャーコングレスセンター入口の前にありました。
4-6. ロイス川
中央スイス地方を代表しスイスで4番目の長さ160kmのロイス川。山麓よりルツェルン湖を経てアーレ川へ合流しています。
4-7. 旧市街地
4-8.瀕死のライオン像
4-9. ムーゼック城壁
14世紀後半に町の北側に建てられた城壁。現在9つの塔が残り、4つの塔には登ることが出来ます。かつては街全体を囲んでいたようです。
4-10. ピラトゥス山
ピラトゥス(Pilatus)の名前はイエスを処刑したとされる古代ローマの司令官、ポンティウス・ピラトゥス(ピラト)にちなんでおり、ピラトゥスの亡霊がたどり着いたという伝説がある。(ウィキペディアより)
・地球温暖化
39年間ルツェルンに住んでいる方の話によるとピラトゥス山は昔スキー場だったが雪が少なくなりスキー場はなくなったそうです。しかし、それでは外貨が入らないので観光客誘致のため登山観光のインフラは充実しています。
5 .食事どころ
シュタッドケラー(Stadtkelle)で食事と民族音楽を楽しみました。
アルプホルンの演奏やファーネンシュウィンゲン(旗の空中投げ)など、スイス伝統のフォルクローレショーを見ながら食事が楽しめる
こんなに長い楽器を鳴らすのは大変そうです。山で響かせてみたい。
スタッフが民族衣装で迎えてくれ、伝統的なスイスの雰囲気が味わえます。ヨーデルの歌に舞台と観客が一緒になり大盛り上がりです。
6. ウイリアム・テル伝説
スイス史の人物、中世の伝説上の人物だけどスイス・フラン紙幣の人物であり実在性は証明されていないがスイス人の6割はテルが実在の人物であると信じているとか。
テルが愛されているのは自由を尊び、権力に屈しなかったスイス人そのもの、象徴とも言える存在だからです。現在も永世中立国として独自の生き方を選択し、異なった言語や人種の壁を越え息づいています。
当時ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝アドルフの時代に強い自治権を獲得していたウーリの支配を強めようとしていた。ウーリのアルトドルフにやってきたオーストリア人の代官のヘルマン・ゲスラーは、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。
しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受けることになった。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、テルの息子の頭の上に置いたリンゴを見事に射抜くことができれば彼を自由の身にすると約束した。テルは、息子の頭の上のリンゴを矢で射るか、それとも死ぬかを、選択することになった。
1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事にリンゴを射抜いた。しかし、矢をもう一本持っていたことを咎められ、「もし失敗したならば、この矢でお前を射抜いて殺してやろうと思っていた」と答えた。ゲスラーはその言葉に怒り狂い、テルを連行する。しかし彼はゲスラーの手を逃れ、その後姿をくらましつつゲスラーを陰から狙撃し射殺。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件は反乱の口火を切り、スイスの独立に結びついた。(ウィキペディアより)
ルツェルンの南東、湖の南端に位置するアルトドルフは、テルがリンゴを射たとされる町です。テルの生まれ故郷は、アルトドルフから車で10分ほど東へ行ったところにあるビュルグレンという小さな村です。
*おまけ
お土産のおすすめ
スイスといえばチョコレート。
「バッハマン(Bachmann)」という店が種類も豊富で良かったです。カフェコーナーもありルツェルンに何店舗か展開しているようでした。
たくさん買いました。
ホテル側のお店ではお持ち帰りでパンも購入。
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